2025.07.24 東北巡行:奥入瀬渓谷編




夏の東北地方を巡行して参りました♪


本州の北の果てでも見てこようかと思い立ち、十和田湖~陸奥湾周辺を走ってきたのでレポートしてみたい。 最大の目的地は霊場:恐山なのだが、ここは雰囲気が他の観光地とは随分異なるので別枠として扱い、今回は十和田湖周辺の奥入瀬渓谷にフォーカスして書いてみよう。

東北地方と言うと筆者は盛岡くらいまでは何度も来ている。 しかしなかなか青森まで来る機会は少なく、特に奥入瀬から下北半島方面はまったく知見もなかった。 ……であるからには、きっと新鮮な風情が味わえるのではないか。そんな気分で走り出してみたわけだ。




前半のハイライトとなる十和田湖~奥入瀬周辺は実はとても広い。自治体としての十和田市は東西40km、南北30kmほどもあって東京都23区よりも大きいのだが、これは十和田湖の東岸部に過ぎず、西岸部は秋田県の領域となっている。その秋田側を走る東北自動車道にはこれまた十和田ICというのがあるので、旅人は始終 "十和田" の名のついた標識を見ながら移動することになる。

この十和田湖は東北地方最大級のカルデラで、かつての巨大火山の山頂が陥没して湖となったものだ。その規模は近隣の八甲田山よりも遙かに大きい。山頂湖であるから大河川の流入は無く、唯一ここから流下するのが奥入瀬川(おいらせがわ)である。国内有数の美しい渓流と言われる奥入瀬渓谷はここにある。




■ 片道500kmコースを北上




さて前振りはそのくらいにしてさっそく出発してみよう。青森県は筆者の住んでいる栃木県からは500kmほども北方にあり、高速道路で休まずに突っ走ってもたっぷり5~6時間はかかる。

ちょうど学校が夏休みに入った時期でもあり、ファミリー渋滞に巻き込まれる可能性を考えて筆者は夜間移動することにした。 午前0時に自宅を出て、東北自動車道で北上を開始する。さすがにこの時間帯なら一般旅行客はほとんどいない。長距離トラックは結構走っているけれども流れそのものはスムーズだ。




調子に乗って突っ走っていくとお節介なナビが 「休憩しろ」 と言ってくる。 厚労省ではたしか2時間毎の休憩を推奨していたな…と思い出しつつ、時々PAでコーヒー休憩を入れる。




それにしても首都圏から離れるほどに、高速道路のインフラが猛烈に貧相になっていくのが実感されるな。

特にPAの売店は壊滅的で、自販機で飲料は買えても食事処はほぼない。登山ほどではないにしても、遠出する際には水と食料は携行する必要がありそうだ。




午前4時をすぎると空は次第に明るくなってくる。




岩手山を過ぎるとPAには自販機すら無くなってトイレのみという漢の仕様になった。やはり田舎に向かうとインフラは薄くなるものらしい。




十和田ICに着いたのは午前05:30頃だった。 もう空はすっかり明るい。




さてここからは一般道であるR103を行くことになる。この道は秋田県大館市から十和田湖を経由して青森市までを結ぶ幹線道路で、奥入瀬渓谷と並走する唯一の道路でもある。




ここはもとはといえば日露戦争に伴う軍需道路として通された経緯もあるのだが、細かいことは置いておいて、せっかくの交通インフラなのだから活用させていただこう。

まだ日の出から間もない時間帯なので交通量は少ない。いくぶん朝靄の残る中、点々と続く集落を縫うようにして進んでいく。



 

■ 十和田湖を展望台から望む




ICを降りて25kmほど行くと発荷峠に至り、十和田湖が見えてきた。ここには展望台があるので寄ってみよう。




十和田湖は湖畔の周囲長46kmほどもある巨大なカルデラ湖だ。冒頭に述べたようにかつてここには巨大な火山(地図に名称はなく地質学の世界では十和田火山などと呼称される)があり、陥没と噴火を繰り返して二重カルデラを形成した。

記録に残る最後の噴火は延喜十五年(915)とされており、これは有史以来の日本国内最大級の噴火であった。 長らく大和朝廷の支配を受け入れなかった蝦夷が衰退したのがちょうどこの頃で、坂上田村麻呂の遠征後も服属せずに残っていた地生えの勢力も、自然災害には勝てなかったとみえる。

ためしに3D地図(↑)を起こしてみると、カルデラの様子がよくわかる。もともとは巨大な火山があって、あまりにも大量の噴出物を出した結果、内部が空洞になって陥没し、水が溜まったというものだ。平地はほとんどなく、土地も痩せていたため定住者はいなかった。ここは長らく山岳修験のフィールドで、 湖畔に人の集落が成立したのはなんと明治維新以降のことなのである。 




その十和田湖を望む展望台にやってきた。時刻はちょうど午前6時。この時間帯だと観光客は誰もいない。




……というか、人の気配が無さ過ぎていささか殺風景な気もするな(笑)
夏休みだというのに誰も来ないとは。




湖畔には低い雲が垂れこめていたものの視界は通る。 湖面水準は標高400m、カルデラの外輪山は多少の凹凸はあるものの概ね800~1000mくらいの高さになっている。 画面中央に見えている半島は二重カルデラの内側の外輪山にあたる中山半島で、その向こう側が火口跡となる中湖の領域になる。




ちなみに中山半島にはこの地方で最古級の十和田神社(創建 大同二年:807)があり、竜神伝説が伝わっている。 十和田湖にはもともと青龍が主として鎮座していたところ、 修験者の南祖坊という者がやってきて戦いを挑み、青龍を追い出して自らが湖の主となったという。  南祖坊は熊野出身と伝えられ、要するに伝説では和人の勢力が旧来の神様を追い出したということになっている。




その追い出された青龍は、やがて流浪の果てに八郎潟の主に収まり、 さらには田沢湖の姫神と恋仲になって結ばれたとするアフターストーリーがある。これらは総称して三湖伝説といわれ、北東北の神話伝承の基軸のひとつとなっている。

これを現代風に解釈すれば、南祖坊は少年ジャンプ的なバトル展開で勝利を収めたものの、その後はさっぱり活躍の姿がみえず打切りマンガのようにすっぱりと物語が途切れてしまう。 一方、負け組の青龍は少年サンデー的なラブコメ展開を経て彼女をGETしており、足蹴く田沢湖に通っては愛を育んだ。生きざまとしてはこちらのほうが圧倒的に充実しているな(笑)



ところで展望台の建屋内には七夕祭りのポスターがあった。 ねぶたのデザインにいくらかツッコミどころがありそうだけれども、それはそれとそして、七夕が八月というのが筆者的には興味深く思われた。




首都圏では七夕(たなばた)というと七月七日で、これは古代中国も同じである。 ただし中国の暦は太陰暦であり、欧米基準の太陽暦とはズレがある。

日本では明治維新の時に暦を中国基準(太陰暦)から欧米基準(太陽暦)に切替えた。しかし政府方針が徹底したのは東京周辺だけで、地方では行政に関わる部分だけ追従して民間の伝統行事は旧暦のままにしたところが多いのである。 青森ではそれが色濃く残っていて、七夕も旧暦で営まれている。 こういうところに明治期の中央と地方の距離感が伺えるのはナカナカに面白い。

……おっといけない、こんなところで時間を食っていると下北までたどり着けなくなってしまうな(笑)。 そんな訳で先を急ごう。



 

■ 湖畔を行く




さて展望台を出ると、R103はカルデラ内に降り、湖畔を通って奥入瀬方面へと続いていく。 対向車はなく、あたりは鳥の声がいくらか聞こえるくらいでとても静かだ。



湖畔は道路を通すにあたってコンクリートで護岸を固めるのではなく、自然の水際を極力残している。 単に工事費を安普請にしただけ……という解釈も成立するけれども、景観保存の観点からはこれは正解のように思える。




岸辺には火山の噴出物らしい軽石や凝灰岩の破砕物が溜まっていて、土は木の根が掴んだわずかばかりの腐葉土がある程度だ。




見れば水は青く澄んでいる。

実は十和田湖は霞ヶ浦のような冨栄養湖とは真逆の "貧栄養湖" の状況にあるという。 これが景観にどう関係するのかというと、水を濁らせる植物プランクトンが極端に少ないいため水の透明度が高くなるのである。




このプランクトンの少なさが、かつて十和田湖でのヒメマスの放流事業を悉く失敗させたというのは結構有名な話だ。餌(=プランクトン)が少ないので稚魚の生存率が悪すぎたというのがその主因らしい。 これは後日、試行錯誤を経て 「ある程度大きく育てた稚魚を放流する」 ことで解決したという。

とはいえ十和田の湖水が生存に厳しい環境であることはその後も変わらず、近年では調子に乗ってワカサギを放流したら餌の奪い合いでヒメマスの漁獲高が激減したりもしている。透明度のある水と水産業の両立は、どうやら思った以上に難しいみたいだ。



 

瞰湖台




湖畔をもう少々進み、R103からちょっと逸れて瞰湖台(かんこだい)にやってきた。"展望台" と表現したほうが平易でわかりやすそうな気がするけれども、「瞰」 の字には見降ろすというニュアンスがあるのでこれはこれで正しい。




ここは外輪山の切り立った崖上にあって、火口部分=中湖を正面から見降ろせる。等高線の並びが詰め詰めになっているのはそれだけ急峻な崖面が水中まで延長しているからで、筆者はいま水でいっぱいのドンブリの縁の上みたいな所にいる訳だ。




写真で見るとこんな感じのところになる。 ここが十和田火山の火口部、つまり二重カルデラの内側部分にあたり、これだけで直径は2.5kmほどもある。ちなみに外側のカルデラ壁は直径8kmを越える。 なかなかに圧巻のスケールだ。




すこしロングで湖面を捉えてみた。海と違って山頂湖には "打ち寄せる波" というのはなく、風によるさざ波があるのみ。




ちなみにここから湖畔まで降りていくルートはない。カルデラ外輪山の傾斜は非常にきつく、ここではほぼ垂直に切り立った崖があるばかりだ。湖面から筆者の立っているあたりまでの標高差はおよそ200m……50階建のビルくらいの高さがある。



崖面をみると赤っぽい。これはスコリアだろうか。軽石の仲間で火山の火口付近でよく見られるものだ。こんなに分厚く積もっているところをみると、カルデラ形成期の噴火はどれほど凄まじかったのだろう。



 

■ 子ノ口港




さて瞰湖台を過ぎてR103に再合流し、さらに湖畔を北上していく。あたりはブナの原生林がつづく。 相変わらず、他のクルマとすれ違うことはない。有名な観光地の筈なのに人口密度はおそろしく低いようだ。




やがて子ノ口に到着。ここは観光船の発着場で、小さな港がある。 奥入瀬渓谷の始まりの地点でもあって、必ず見ておきたいところだ。




集落規模は小さく、商業施設としては食堂が2軒とバスの発着場の建屋があるのみ。  観光案内によればヒメマス定食などが食べられるそうなのだが、早朝なのでまだ営業はしていなかった。




港は浮き桟橋がひとつだけのシンプル仕様だった。ドックはないようで、観光船の運用拠点は湖南岸の休屋地区の方にある。 ここはあくまでも一時寄港の場所ということで設備を軽めにしているようだ。




遊覧船のチケット売り場は営業時間外のようでいまだ人の気配はない。遊覧船は一日三便の運行で、朝一番の便が休屋発09:30 → 子ノ口着10:20、その復路が子ノ口11:00発 → 休屋11:50着なので、営業開始は実質10時くらいなのだろう。

 時計をみるとまだ午前7時ちょい過ぎくらいなので、そりゃまあ誰も居ませんよねぇ……ということになるようだ。




実は渓谷に入る前にここで一服しようかと思っていたけれど、自販機もないようだし手持ちの缶コーヒーで自給自足することにした。 改めて思うけれど、地方を旅するときはやはり無補給で行動できるくらいの物資は持っているべきだな(笑)




そんな訳で缶コーヒーをちびちびやりながら、周辺の様子をみてみる。湖岸の木々の根は僅かな土と石をしっかりと抱え込んでいる。火山地帯の宿命として、薄い表土にわずかばかりの地衣類が生えると、そこにへばりつくように樹木が育ち始め、根でがっしりと足元の土や石を包んでいく。この掴んだ土壌がその木の養分事情を決めてしまうので、木々も懸命に根を張っている。

こういう風景をみていると、ロクな投資もせず極限まで経費をケチっている企業で健気に頑張っている氷河期世代の姿とダブってしまうのだが(ぉぃ)、あまり言い過ぎて筆者自身がリストラの対象になっては困るのでそのへんはゴニョゴニョしておこう。




さて、ではいよいよ奥入瀬渓谷に入ってみようか。

<つづく>